植物は海外から日本へ渡ってきたものが多いですが、柿は日本から海外ににわたり「KAKI」として親しまれています。今回は日本の柿の歴史についてひも解きます。
柿はいつから日本にある?
柿はいつから日本に存在しているのでしょうか。諸説ありますが、もともとの柿は中国原産で、弥生時代以降に大陸からもたらされた説や、大きな品種は少なくとも奈良時代ごろ中国から渡来してきたという説が有力とされています。
古くて有名な文献である『古事記』や『日本書紀』などにおいても、地名や人名として「柿」は多数記述されています。例えば、万葉歌人で有名な「柿本人麻呂」は、屋敷に柿の木があったため柿本と名乗っていたと言われています。
さらに、平安時代中期に編纂された律令の施工細則である『延喜式』には、儀式や祭礼の供え物、天皇のお菓子として熟柿(じゅくし)や干し柿が記され、宮廷でも栽培されていたことがうかがえます。
昔、柿は「渋柿」しかなかった!
この時代、柿は渋柿しかなく、収穫された柿は主に熟柿や干し柿として利用されていました。 干し柿は保存が効くので、非常食或いは数少ない嗜好品として各地で普及し、干し柿製造は主に農家の副業として代々受け継がれてきました。
実際の製造方法は、 古くは枝ごと天日乾燥するという原始的なものだったようですが、やがて串に刺した串柿となり、明治以後は現在のようにヘタを紐で結んでぶら下げる干し方になりました。生活の知恵を駆使し、 時代を経てより良く変化していったんですね。
また、柿は当時、主に祭祀用に使われていたようですが、それ以外にも重要な役割がありました。それは「糖分補給源」という役割です。 砂糖が国内で生産されるようになったのは17世紀以降で、それ以前は甘いものがほとんどない時代でした。そんな中、干し柿は人々にとって貴重な甘味源となっていました。
甘柿の発見
鎌倉時代の1214年、神奈川県川崎市で突然変異による甘柿が発見されます。 これは日本固有の柿であり、世界最古の完全甘柿と言われています。
その後、品種的な発展が見られるのは江戸時代中期になってからです。 柿の品種や脱渋法・加工乾燥法や接ぎ木などの栽培方法などがさまざまな書物に記述されており、柿の生産に関するあれこれが発展していたことがうかがえます。 現在柿は全国で1000以上の品種があるともいわれていますが、古来の文献によれば、現在の品種の大部分は大体18世紀には栽培されていることがわかるそうです。
この時代に柿は世界へ羽ばたいていき、海外では高級なフルーツとして知られるようになります。
世界と柿
世界での沿革を見ると、柿は16世紀頃に南蛮貿易で日本と交易のあったポルトガル人によってヨーロッパに渡り、のちにアメリカ大陸に広まっていったといいます。また、その後ポルトガル領だったブラジルにも同様にして伝わったようです。
ちなみに、柿の 学名は「Diospyros kaki(ディオスピロス・カキ)」。意味は「Dios=神、Pyros=食物」、要するに「神様の食べ物」です。日本語がそのまま学名になるのはとても珍しいことです!
また、1900年に開催されたパリ万国博覧会に、岐阜県の堂上蜂屋柿が出品されて銀杯を受賞、1904年のセントルイス万国博覧会では金杯を受賞しています。前述のように、柿は世界的に見て高級品として認知されるようになりました。
ちなみに欧米では、日本のように固めの柿ではなく、皮が破ける手前まで熟させて甘くした柿を、スプーンですくって食べることが多いようです。
柿といえば、思い出すのが正岡子規の句「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」ですね。「法隆寺に立ち寄った後、茶店で一服して柿を食べると、途端に法隆寺の鐘が鳴り、その響きに秋を感じた」という意味の俳句ですが、現代を生きる私たちでも、この俳句を聞くと自然と秋の情景を思い浮かべます。私たちが想像するよりもずっと昔から、柿は人々に愛され続けてきたのですね。